1895年にサンクト・アントンの歴史上初となるホテル、「ホテル・ポスト」がオープン。以降も徐々に観光客向けの宿泊施設が建設されていき、第一次世界大戦勃発直前の1914年には369床のベッド数を誇る観光地に発展した。1901年1月3日にはサンクト・クリストフにて世界最古のスキークラブ「スキークラブ・アールベルク」が発足され、数年後にはアルペンスキーの国際大会が開催されるようになった。1907年には後にアルペンスキーのパイオニアとして知られるようになるハンネス・シュナイダーがサンクト・アントンでスキー講習会を始め、1922年には現在ではオーストリア最大規模を誇るスキー学校「スキースクール・アールベルク」を設立する。1923年には後に各国のスキー教本のお手本となり、「アールベルクバイブル」と呼ばれた「スキーの驚異」が発刊された。この教本で紹介されたシュテムシュブングを基本とする様々なスキー技術は「アールベルク・スキー技法」と呼ばれた。1920年代から1930年代にかけてはアーノルド・ファンク博士によって「スキーの驚異」、「白銀の乱舞」、「スノーシューの新七不思議」(一部にはハンネス・シュナイダーが主演)など様々な映画が撮影され、サンクト・アントンはスキーリゾートとしての国際的な名声を得るようになる。1937年にはガルツィック山にゴンドラが開通。多くの観光客が訪れるようになり、第二次世界大戦勃発直前には1154床のベッド数を誇った。(Wikipediaより)