涸沢「フカスの岩小屋」守る 故深沢さんのスキー研究拠点 (信濃毎日新聞)

 標高約2300メートルの北アルプス・涸沢に「フカスの岩小屋」と呼ばれる巨大な岩が重なってできた岩小屋がある。「フカス」とは、かつてこの岩小屋を拠点に涸沢の雪渓でスキーの研究や指導をしていた故・深沢正二(しょうじ)さんの愛称。深沢さんが亡くなって30年以上たつ現在も、その歴史を残していこうと、交流のあった人々が岩小屋の管理を続けている。

123 岩小屋は涸沢上部にあり、三つの岩が重なってできた自然の隙間を利用している。広さは20平方メートルほど。岩小屋を管理する小松栄一さん(80)=松本市神田=らによると、戦後間もない昭和20年代半ばごろ、松本市に住んでいた深沢さんが、長期滞在してスキーをするため、登山者などが利用していた岩小屋を整備した。夏から秋口にかけて涸沢の雪渓で独自にスキー技術の研究を重ねた。
 当時は近代スキー文化が国内に定着し始め、登山者も増えた時代。涸沢では国体選手らのスキー合宿が行われるようになり、深沢さんがスキー技術を伝えたり、登山者にルートや装備の助言をしたりしていたという。アルペンスキーの元五輪選手、杉山進さん(80)=下高井郡山ノ内町夜間瀬=は高校時代に涸沢合宿で深沢さんと出会い、その後十数年間、涸沢で練習を重ねた。「フカスさんが涸沢を夏のスキー練習場として環境を整えたことが、日本の競技スキーのレベルアップにつながった。自分が五輪に出られたのは涸沢のおかげ」と話す。深沢さんをよく知る涸沢ヒュッテ会長の小林銀一さん(81)=松本市高宮=は「山の知識も含め、とにかく勉強家で努力家だった」と振り返る。深沢さんが涸沢に住み着いていたため、食料などは妻の信子さんが荷上げしていたという。
 深沢さんが1978(昭和53)年に65歳で死去した後、信子さんも亡くなると、岩小屋の登録上の管理者が不在に。そこで深沢さんからスキーを学んだ小松さんら6人が集まり2004年、「涸沢スキークラブ同好会」を設立した。現在は小松さんが年に5、6回訪れて小屋を管理している。小松さんは深沢さんについて「人には豪快で、スキーには繊細。とにかく山が好きでスキーを愛する人だった。フカスの名前と当時の涸沢の歴史を残すため、岩小屋を守り続けたい」と話している。